1972年 | 矢沢永吉、ジョニー大倉、ユウ岡崎と共にキャロルを結成、リードギターを担当する。 衝撃的に日本の音楽界に登場!その演奏スタイル、風貌は思想を持たなくても日本語のロックは充分にカ ッコイイことを提示し、社会現象になるほどいまでも日本の音楽界を代表する伝説のバンドである。 いちどは聞いたあのギターフレーズはこの人のプレイである。 |
1975年 | オリジナルアルバム5枚を残してキャロル解散、いまだに日本のロックの歴史に残る作品として発売中 |
1976年 | ソロ活動を開始<JEMINI 1-2>同時製作を開始1枚はジャマイカのバンドシマロンズとの共作で、 日本フォノグラムより発売される。 |
1978年 | 内海利勝&V-G-T結成、トリオレコードよりアルバム<ファースト>発表、ライヴ活動をおこなう※レコード会社消滅等の理由により長い間廃盤になっていたが2001年11月にケンロードミュージックの 努力により待望の再発売が決定<AOCD-1005 ¥1.800(税別)> |
1982年 | ソロアルバム<DADA>を日本コロムビアより発表する。 |
1983年 | この時期より内田裕也、宇崎竜童、原田芳雄のバックアップメンバーとして活動、同時にライヴ及 びレコーディングにも参加 |
1985年 | ビデオ作品<隙間>、<カブツ>に出演、音楽もINTO THE DARK、夢の続きを提供 |
1986年 | 映画<どついたるねん>にテーマ曲DONT WORRYを提供 |
1987年 | 相原誠(元ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンド)、長洲辰三、永本忠(元ソー・バッド・レビュー)と THE MIROR結成ライヴ活動を開始する。 |
1989年 | ジョニー大倉、高橋ジョージ、田中清人とともに<THE PLEASE>結成ライヴ活動を開始する。 |
1992年 | オリジナルアルバム3枚を残してTHE PLEASE解散、この時期憂歌団のライヴにゲスト参加する。 |
1997年 | 久々のソロアルバム<FROM HERE>発表<EFI−CD0007 ¥2.800(税別)>アルバム9曲収録 のなかで月のない夜、Shining
Roadの2曲がオリジナルバージョンで収録、ブルースファイルNO1と聴き比べるのもいいかも知れない、そのアルバム内容は自身の持ち味を発揮した傑作アルバムと評価も高い 万琳はるえ、長洲辰三、永本忠、吉岡貴志とPeach Blueを結成、アルバム<ROAD TO NOWORE>を発表、そのうちの1曲が資生堂のCMソングに採用される。 |
1998年 | ブルースファイルNO1結成に参加、存在感のあるプレイを発揮する本格派が復活した。 そのブルースプレイは特に戦前ブルースに影響を受けた弾き方に特に注目するべき、前にでてきてもよし!うしろにさがってのバックプレイもよし!この方のプレイするフレーズを聴いたら素晴らしさがわかるはず、これからバンドでギターを始める人、始めようとする人、始めている人はこの人のギタープレイをいちどは必ず見て欲しいし、忘れてはならないのは内海利勝のギタープレイに影響を受けたミュージシャンはたくさんいるはず、こんな素晴らしいギタリストを評価が出来ない日本の音楽界はどうかしているのでは?と思うほどのステージを期待しつつ今こそそしてこれからもギタリストとして、ミュージシャンとして内海利勝をもっと評価されるべき |
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